私、渡辺和宣が、エンジニアリングを実現したビジネスアナリシス方法論GUTSY-4を開発するに至った、IT人生を振り返ってみます。一貫して、自動化とかエンジニアリング化に取り組んできた気がします。

①プログラマ時代:1971-76年、ミニコンピュータのアセンブラでの開発を半自動化。

SE時代1:1980年前後、事務用コンピュータでの画面処理プログラムの自動生成

SE時代2:1985年頃、分散オンライン処理での各種ツールの開発

 プログラマ時代

  1971年春、大学院の試験に滑って、3月末に就職探しして、IT系の会社に入社しました。数学科出身なので、 コンピュータの事はハードウェア、ソフトウェアの区別も何も分かっていません。4月入社直後、事務系プログラムをCOBOLでコーディング。私が描いたフローチャートなのか、コーディングがおかしいのか、ちっとも正しいプログラムにならない。 同僚は、大学時代にFORTRANをやっていたのもいて、スイスイ。 私は、夢にまでフローチャートが出てきて、毎日、睡眠不足。 毎日、キーパンチ室でプログラムのカードを打ち直しているので、キーパンチャーのお姉さん が同情して手伝ってくれました。やっと、1カ月経って、1,000ステップ位のプログラムが1本、終わった時に、気づいた。「仕様書が悪い」。

  半年後、ミニコンによる工場FA関係のプログラムの仕事に移りました。OSも何もなく、全て Assembler(ほとんど機械語)でコーディング。又しても、同僚はスイスイ、私は四苦八苦。 そこで、「沢山コーディングするから私は間違うのだ、その量を減らせば良い」 と気付きました。汎用機を使って、コーディング時点で共通サブルーチンライブラリを整備して開発量を削減するコード生成の仕組み、 そして、アセンブル(機械語への翻訳)自身も汎用機の高速版を開発しました。

  汎用機上のアセンブルを考えた時は、机の上にはソースプログラムと機械語のオブジェクトコードを置き、どうしたらこのソースをこのオブジェクトにできるか、一週間、考えに考え抜き、やっとその方法を思いつきました。会社の夏休みは、全てこの開発に費やした。

  開発チームとしては格段に生産性が向上して、私自身は賞与は大分、+アルファをもらいました。 やはり、しっかりコンピュータを勉強しようと、ドノバン「systems programming」英語版(家の書庫に今でもある)を1年かけてやっと読み終えた。この本が情報系の大学院の教科書であることは後で知りました。 疲れて家に帰って、待っている妻を目の前にして、毎日、少しずつ英語を読んだ新婚時代。

  開発チームは「特攻Aチーム」のように最強でした。ある例では、3日間の納期。開発対象へのアーキテクチャを考えるのが私の役割で、 1日、それこそ頭がちぎれる位、考える。他のメンバーはその間、マージャンやって遊んでいる。私が考え終わったら、全面戦争。 48時間、ぶっ続けの徹夜プログラミングとテストで開発完了。

  もう一つの例。倉庫管理システムのコーディングが完了して、テストに3日間かかると見積もりました。会社へもメンバーの家族へも 3日間、徹夜だから帰れないと言って家を出た。ところが、テストを始めてなんと3時間で完了してしまった。まぁ、すごいメンバーばかりだった。 あと、ほとんど3日間ある、どうしようと皆で相談した。そこで、最年長のメンバーの家でマージャンしようということになり、結局は3日間、徹夜。 会社へも家族へも徹夜でクタクタと報告。事実、徹夜は徹夜でしたが。

  システム開発支援システムは、ライブラリの整備から始まって、その後にソースプログラムの多重のマクロ展開(recursive)、リロケータブルなオブジェクト出力、 オブジェクトのダイナミックリンケージなど拡張。プログラミングがなまじ出来ると、必要性がなく工夫しない。私は出来ないので、プログラミングの自動化を実現。これが、私がエンジニアリング化に取り組んだ第一歩でした。結局は、これをビジネスアナリシスにまで、40年間、続ける羽目に。

 

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